『パラレル・マザーズ』でペドロ・アルモドバル監督が描いたのは、個人的なことは政治的であるということ。(フロントロウ編集部)

『パラレル・マザーズ』は2人の母親の物語ではない

 1949年生まれの73歳であるペドロ・アルモドバル監督は、地方出身であり、オーペアとして生活したり、事務員として働いたりした経験を持つ。そして、独裁政権を築いたフランシスコ・フランコが死去した後、1970年代後半から80年代にマドリードで起きたカウンターカルチャーの文化革命「ラ・モビーダ・マドリレーニャ(La movida madrileña)」を代表する存在の1人である。

 そんな彼が、作品制作における長年のパートナーとも言えるペネロペ・クルスとふたたびタッグを組んだ『パラレル・マザーズ』は、パラレル(平行した)というタイトル(※)であるため、同じ日に同じ病院で出産したペネロペが演じるジャニスと、ミレナ・スミット演じるアンの2人の平行した日々の物語である印象を抱く。しかし本作では、1936年から1939年にかけて発生したスペイン内戦についても描かれている。むしろ物語は、ジャニスが、スペイン内戦で殺されたジャニスの曽祖父や村人の骨の発掘を、法人類学者であるアルトゥロに依頼する展開から始まる。
 ※スペイン語原題は『Madres Paralelas』であり、意味は同じ。

 現代を生きる母親たちと、1930年代に起こった内戦という2つはまったく異なるエッセンスだが、英Esquireのインタビューで監督は、「ジャニスと、スペインの社会には多くのパラレルがあります」と話しており、彼はジャニスの物語を通して社会批判を行なったと言える。

 「彼女は、別の誰かにとって非常に重要である真実に沈黙することを決めた。そして、沈黙の理由は非常に異なるとはいえ、スペインは60年もの間を病的な沈黙の中で過ごした。独裁政権の間だけでなく、それが終わってからの20年もです」

画像: 『パラレル・マザーズ』は2人の母親の物語ではない

スペインに残る内戦の傷跡

 彼が「病的な沈黙」と批判するのが、内戦で行方不明になったり、命を落としたりした人々に対するもの。スペインでは、内戦や独裁政権下で数十万人が犠牲となっており、その調査や遺体の発掘はいまだに続いているが、右翼からの反発も大きい。

 マドリード郊外には内戦で命を落とした3万3000人以上の遺体が地下に眠る慰霊施設「戦没者の谷」があるが、独裁者フランシスコ・フランコの指示で建設されたもので、遺体がある地下室は1957年より開けられておらず、遺族が返還を要求してきた。「戦没者の谷」は極右の聖地となっており、ロイターによると欧州に残る唯一の独裁者記念施設として批判されている。2019年には、「戦没者の谷」に埋葬されていたフランシスコ・フランコの遺体が、妻の墓がある別の墓地へ移された。

 『パラレル・マザーズ』では映画の最初と最後で内戦戦没者について描かれるが、それは政治的なことというよりは、ジャニスや街の人々が、今は亡き家族に思いを寄せる形で描かれている。監督は英Time outのインタビューで、「人々は復讐したいわけではありません。それは政治的ではなく、完全に個人的なことです。親族に敬意を払いたいのです。集団墓地は人々を存在しなかったことにする。その人々の人間性やアイデンティティに回帰することが重要です。そしてその過程が非常に重要です」と語っていた。

画像: スペインに残る内戦の傷跡

個人的なことは政治的なこと

 政治的なことを個人的なこととして描き、そして女性たちの人生を通して歴史と社会への思いを表現した本作からは、「The personal is political(個人的なことは政治的なこと)」という言葉を思い出す。

 これはアメリカで第2派フェミニズムが発生した時に、女性の人権問題が家庭や女性個人の問題だとされて社会的に取り組まれないことに対して生まれたスローガンで、現代でもよく聞かれるもの。ジャニスが「We Should All Be Feminists(みんなフェミニストであるべき)」と書かれたTシャツを着ているシーンがあったことも印象的だ。

画像: 個人的なことは政治的なこと

 本作はフェミニズム映画ではないが、様々な年代の女性、様々な主張の女性が登場し、彼女たちは社会から影響を受けてその人生を歩むことになり、その主張に行きつくことになったと理解できる丁寧な描かれ方をしている。

 監督が、ジャニスを主人公に置き、様々な女性を描き、その人生の物語を通してスペインの歴史と社会を語るという手法を取ったことは興味深い。

(フロントロウ編集部)

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