マリリン・モンローの生涯を扱ったフィクション映画『ブロンド』が酷評されている。批評家たちの評価や、エミリー・ラタコウスキーの意見をまとめた。(フロントロウ編集部)

『ブロンド』が近年稀に見る酷評

 Netflixによる映画『ブロンド』は、マリリン・モンローの生涯を扱い、アナ・デ・アルマスが主演を務めた作品。ジョイス・キャロル・オーツによる本『ブロンド―マリリン・モンローの生涯』を原作とし、『ジェシー・ジェームズの暗殺』のアンドリュー・ドミニク監督が手掛けた。

 アナの演技は評価されている一方で、マリリンが受けた数々の性暴力被害などを描くストーリーには問題が多く、酷評の嵐となっている。また、性暴力被害を受けたことがある人が鑑賞した場合、その被害がフラッシュバックする可能性があるという懸念の声も出ている。

 米ワシントンポストは、問題があった原作よりも映画はさらに酷いとし、星1つの評価。

 「真実と捏造を混ぜ合わせ、推測的で深い心理的内面性を描く作品にした(原作の)800ページ近い実験は、それ自体が疑わしい試みだった。オーツの最も恥知らずな想像力の闘いも、モンローを定義したモノ化の視点からの救出、そして彼女に内面の人生を与えるという名の元では擁護できたかもしれない。しかしドミニクはその試みを映画で抹消。モンローをふたたびモノ化しただけでなく、犠牲化と自己否定にふけった」

 ニューヨーク・タイムズは、今は亡きマリリンが「最新の屍姦エンターテイメントである下品な映画『ブロンド』で自分が搾取されるということに苦しまなくて良かったのは救いだ」と、非常に厳しい批評をしたうえで、監督の視点と認識を強く批判した。

 「もしドミニクが、モンローは男性に食い物にされた被害者以上の存在であるということに興味がなく、理解もできないのであれば、それは彼自身がこの映画において、その惨めな役割を担っているからだ」

 ニューヨーカーは、「この映画はバカバカしいほど下品だ。メル・ギブソンが『パッション』でやったかのような方法で描かれたモンローの物語。このキャラクターは、恐怖や憐みとは程遠い、特殊な監督的サディズムを反映した執拗な拷問の数々に耐えている」と指摘。

 ロサンゼルス・タイムズもまた、「ドミニクはモンローを犠牲者としか認識できない。彼は、彼女は自分の成功や破滅の参加者なのだというように見るという敬意さえ払えない」と綴り、監督を批判した。

エミリー・ラタコウスキーが意見

 多くの人々が『ブロンド』を批判するなか、フェミニストとして有名なモデルのエミリー・ラタコウスキーもTikTokで意見。彼女はまだ映画を見ていないそうだが、「また1つの映画が、(本人が)死してもなお女性の痛みにフェチのように執着していると聞いても驚かない」としたうえで、女性自身も多くが自分の痛みを利用するよう学ばなければいけなかったと指摘。

画像: エミリー・ラタコウスキーが意見

 「私自身も、それが治せるものだと思えるように、人生において自分の痛みや傷にフェチのように執着する方法を学んだと言える。『私はダメな子なの』みたいな感じで、ある意味でセクシーに受け取れるように。私たちは本当にたくさんの状況においてそれをしてる。でも私はそれを変えたい」

 状況を変えるには何が出来るのか。それは怒ることだと、エミリーは続けた。

 「フェチにするのが難しいのは何か分かる?怒りだよ。だから提案する。私たちはもう少しキレる必要がある。2022年は、私にとってビッチな年にするよ、ベイビー。今年はビッチな年だよ。私たち全員、ビッチな年にいるべきだと思う」

 彼女は動画のキャプションでオススメの本も綴っており、アリス・ボーンによる『Dead Girls: Essays on Surviving an American Obsession(原題)』と、レスリー・ジェイミソンによる『Grand Unified Theory of Female Pain(原題)』を挙げている。

(フロントロウ編集部)

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