映画『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督が約15年温めた映画『バビロン』。騒乱のハリウッドを舞台にした群像劇は、観るたびに映画づくりの奥深さが倍増するような映画体験ができる。それをスクリーンで成し遂げたチャゼル監督の哲学とは? フロントロウ編集部とチャゼル監督のインタビューでは、まずは出演者の“歯の汚さ”で盛り上がった。

20年代~30年代のハリウッドと2023年には共通点がある

 『バビロン』が舞台とする1920年代のアメリカは製造が盛んになり、テクノロジーの発展により突如として多くの家庭に洗濯機、掃除機、冷蔵庫、ラジオといった家庭用品が置かれ、生活様式は大きく変わった。1920年の10年間でアメリカは42%の経済成長を成し遂げ、社会は大きく繁栄したのだが、一方で、20年代後半~30年代前半にかけて自殺率が急増。光と闇のある時代だった。テクノロジーが目まぐるしく発展し、メンタルヘルスの問題も浮き彫りになっている現代とのリンクを感じるが?

画像: 映画の登場人物たちは実在の人たちがモデルになっており、ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)は、サイレント映画時代最大のセックスシンボルとされたクララ・ボウにインスピレーションを得ている。

映画の登場人物たちは実在の人たちがモデルになっており、ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)は、サイレント映画時代最大のセックスシンボルとされたクララ・ボウにインスピレーションを得ている。

デイミアン チャゼル:「ええ、間違いなくそう思います。今もハリウッドをはじめ、多くの業界で足元がぐらついている感じがしているのではないでしょうか? 個人の意思に関係なく生活がテクノロジーに支配されていて、我々はテクノロジーの奴隷と化している。今ある形のテクノロジーで言うと、この問題のはじまりは1920年代まで遡れると思っています。アートとしてのシネマの面白いところは、テクノロジーによって生まれたアートであるところです。絵画や口承のようにテクノロジーが発展する前に有機的に生まれたものではありません。誰かがカメラという品を発明し、人生をイメージに映し、化学的プロセスを使って光のパターンをセルロイドに記録し、印刷して、そこに動きを加え、それがシネマというアートを生み出した。だから映画はつねにテクノロジーと密接な関係にあるのです。そうすると、テクノロジーが大きく変わるとシネマというアートも大きく変わる。だから20年代には多くのアーティストたちは、『やめろ! 我々はこれを求めていない! うまくいっているのになぜ変える必要があるんだ!?』と叫んでいた。しかし彼らに選択肢はないのです。なぜなら行方を支配しているのはテクノロジー側で、それが序列であると気づくことはどの時代においても嫌な現実ですよね。とくに現代ではそれが強いのではないでしょうか」

画像: レディ・フェイ・ズー(リー・ジュン・リー)はハリウッドが求める“アジア人らしい魅力”を演じることでハリウッドで生き残っている。アジア系へのフェティシズムを物語る役だ。

レディ・フェイ・ズー(リー・ジュン・リー)はハリウッドが求める“アジア人らしい魅力”を演じることでハリウッドで生き残っている。アジア系へのフェティシズムを物語る役だ。

 1920年代から1930年代の移行のなかで排除されたのは、セリフのある演技ができない俳優だけではない。音声の登場で映画業界の格式が上がると、ハリウッドは“イメージのクリーンアップ”をはかる。LGBTQ+や有色人種といったマイノリティが排除されるという差別を受け、多くの人がキャリアを失い死亡者が多く出た。

デイミアン・チャゼル:「1920年代~1930年代にかけて、ハリウッドとその周辺では自殺やオーバードーズ(薬物の過剰摂取)の件数が上がりました。その事実は、語る価値のある物語があるかもしれないと私を最初にこのテーマに惹きつけたもののひとつでした。サイレントからトーキーへの移行については、私の大好きな映画のひとつ『雨に唄えば』でも実に美しく語られていますが、多くの人々にとってあまりにも悲惨で、激動の変化だったせいで、彼らを絶望の淵に追いやり自殺者が出ていたと思わせるような描き方ではないです。もちろん、大恐慌のようなほかの要因もある。しかし、音声の登場でキャリアを台無しにされた人たちがいて、さらに、ハリウッドの業界様式も変化してきた。『バビロン』の中でも描かれていますが、道徳規範が重要視されるようになり、これまで合法だったものが違法に、許されていたことが許されないようになり、自由が減りました。そして、その中で多くの不幸な死に直面するのです。

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