人口2,500万人の国で有権者の80%近くにあたる約1,300万人が参加した国民投票で2017年に結婚の平等が実現したオーストラリア。時代に合わせて自然に合法化されたと思われがちだが、その背景には、困難だらけの長い長い闘いがあった。一般的に結婚の平等は、法律の改定か、裁判か、国民投票によって実現するものだが、オーストラリアはこの3つすべてを経験したのだ。オーストラリアで結婚の平等を求めるキャンペーンを先導したAustralian Marriage Equality(AME)でデジタルディレクターを務めたアダム・ノーベル氏(Adam Knobel)にフロントロウ編集部が話を聞いた。

AMEの設立背景―「すべての人が法の下で平等に扱われるべき」

画像: 結婚の平等を過半数の国民が支持した2017年11月15日、プリンス・アルフレド・パークには数千人が集まりお祝いした。

結婚の平等を過半数の国民が支持した2017年11月15日、プリンス・アルフレド・パークには数千人が集まりお祝いした。

 オーストラリアにおいて結婚の平等を求める団体「Australian Marriage Equality(AME)」が設立されたのは2004年だった。

 この年、カナダで結婚した同性カップルがオーストラリアでも法的に伴侶として認めてもらいたいと家庭裁判所に訴え出た。当時、オーストラリアの婚姻法に同性同士の結婚を除外するような表現はなかった。しかし、結婚の平等に関する議論の風向きに変化が起きる可能性を察知したジョン・ハワード政権は、この判決が出る前に、結婚は「男性と女性」のものであると明記した改正法を可決。結婚は男女間のものへと限定された。結婚の平等を求める団体Australian Marriage Equality(AME)は、この騒動のさなかルーク・ガハンとジェラルディーン・ドノヒューを中心に発足された。

―“same sex marriage(同性婚)”ではなく、”marriage equality(結婚の平等)”という表現が使われた背景を教えてください。

アダム・ノーベル氏(以下ノーベル氏):「すべての人が法の下で平等に扱われるべきだという本質を反映している表現だからです。何か違うわけでも、別々でも、新しいわけでもない。ただ単に、すべてのカップルが友人や家族に囲まれて愛する人と結婚することを許されるということなのです」

 AMEはデモや広告、メディア出演などを通して結婚の平等を訴えはじめるのだが、2004年にAMEが発足した当時は、結婚の平等に対する関心は高くなかった。国内での支持も過半数に及んでおらず、メディアも積極的に報じる議題ではなかった。2004年に38%だった国民の支持は、2007年には57%に、2010年には62%(※18~24歳の若年層では8割)へと上昇。その背景にあったのは、一般市民の会話やアクションだった。

 差別を恐れずに自分のストーリーを語ったLGBTQ+の人々に加え、同性の両親を結婚させてほしいと首相に手紙を書いたガブリエル・ストリッカー・フェルプスや、息子の1人が同性愛者であるがゆえに結婚できないことはおかしいと政治家や企業などに手紙を書く運動を始めたシャリン・フォークナーといったLGBTQ+の人々の家族、さらには、地元新聞の“読者からの手紙”欄に掲載された差別的なコメントに反対する手紙を出したサム・フィリップスや、自分の子どもたちには平等な世界で生きてほしいという思いからAMEの活動に参加したキャロル・バーガーなど、オーストラリア全土で一般国民が“法律の下では誰もが平等に扱われるべきだ”という会話に参加したことで、その考えが過半数の国民へと広がっていった。

国民の支持は高いのに動かない政治家―「政治家としての職務を果たすべき」

 そんななか、国会ではAMEのような団体と結婚の平等に賛成する議員たちが協力して法案の起草を続けていた。2004~2017年の間に提出された法案は20以上。どれも採決まで進まないか、採決に進んでも反対する政治家によって否決されるという状態が続いた。一方で、前述のとおり、オーストラリア国民の意識は“過半数が支持”へと変わっていた。“国民が求めているのに政治家が動かない”という、現在の日本と似た状態になっていたのだ。

―国会ではどのようなことが起きていたのでしょうか?

ノーベル氏:「変化を生み出そうとすると、さまざまな課題に直面することになります。人々の古い考え方や既得権益、変化に脅威を感じる人々、あるいは、より多くの資金や資源を持つグループが、法律を現状のまま維持しようとするためにロビー活動を行なうこともある。結婚の平等に関してはそういうことが起きていました。政治家たちは世間と意見がズレており、オーストラリア国民の大多数が結婚の平等を支持していたにもかかわらず、政治家の大多数はそうではなかった。当時の私たちは、世間一般での支持を政治家の賛成票に反映させる方法をまだ見つけ出していませんでした。オーストラリア市民が信じていることに政治家が耳を傾けるようにするにはどうすればいいのか?ということが最大の課題だったのです」

画像: 2015年、結婚の平等を支持する企業がその姿勢を示すために全国紙に広告を掲載。

2015年、結婚の平等を支持する企業がその姿勢を示すために全国紙に広告を掲載。

 オーストラリア国民の80%が結婚の平等についての自由投票(※議員が政党の方針に縛られず自分の意思で投票できるもの)をすることを支持するなか、それを実現させる方法を模索していたAME。しかし2016年、政府が政治家による投票ではなくプレビサイト(国民投票)によって是非を決めてはどうかと提案する。プレビサイトは国民投票の一種だが、同じく国民投票と訳されるレファレンダムと異なり憲法改正には使えない。この案に、多くの活動家や国民が強く反発した。

―国民に是非を問うというやり方にはなぜ反対が多かったのでしょうか?

ノーベル氏:「政治家たちは政治家としての職務を果たすべきだったからです。結婚の平等は、国会に法案が提出されて、国民が支持していることを認識した政治家たちが賛成票を投じることで実現されるべきでした。彼らがそのように適切な方法で賛成票を投じていたら、多くの国民の心痛が回避できたはずです。しかし残念ながらそうはならず、LGBTIQ当事者や家族、友人たちは、できるだけ多くのオーストラリア国民が賛成票を投じるようにキャンペーンを展開しなければならなかったのです」

画像: 結婚の平等の実現のために政治家に自由投票を求める2015年のデモ。このようなデモ運動がオーストラリア各地でたびたび行なわれていた。

結婚の平等の実現のために政治家に自由投票を求める2015年のデモ。このようなデモ運動がオーストラリア各地でたびたび行なわれていた。

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