犬が飼い主の帰宅を察知する理由とは?驚きの科学的仮説


いつもの帰宅時間が近づくと、玄関や窓辺でじっと待っている犬。飼い主なら一度は不思議に思う「帰宅時間がわかる能力」は、超能力なのか、それとも体内時計によるものなのか。動物行動学者らの実験や仮説をもとに、現在わかっていることを整理した。(フロントロウ編集部)
帰宅の15~20分前から玄関で待つ

犬の心理学者として知られ、『犬も平気で嘘をつく?』などの著書があるスタンレー・コレンは、米メディア『Psychology Today』のコラムで、飼い主が仕事から帰る15~20分ほど前になると、犬がドアや窓のそばをうろうろし始めるという報告が「何百件もある」と記している。個々の報告はあくまで体験談にすぎないが、これほど似た話が集まると、何らかの現象が起きていると考えたくなるという。
コレンがその代表例として紹介したのが、日本の忠犬ハチ公だ。ハチ公は東京帝国大学の上野英三郎教授を毎朝渋谷駅まで見送り、夕方には帰りの電車に合わせて駅へ迎えに行っていた。教授が亡くなったあとも、ハチ公は10年近くにわたって渋谷駅に通い続けた。コレンは、見送ったあとにいったん家に戻り、「もう迎えに行く時間だ」と判断できるほどの時間感覚がなければ、こうした行動は難しいと指摘している。
超能力説は実験で裏づけられず

この能力を科学的に検証しようとした研究者もいる。生物学者のルパート・シェルドレイクは1994年の著書で、ペットがテレパシーによって飼い主の帰宅を察知しているのではないかという仮説を提唱し、一般の人々にも実験への参加を呼びかけた。同年11月には、オーストリアのテレビ局がイギリス北西部に住むパム・スマートと愛犬ジェイティーを取材。パムが帰宅を決めた瞬間にジェイティーが玄関ポーチへ向かう様子が撮影され、大きな話題となった。
この説の検証に取り組んだのが、心理学者リチャード・ワイズマンらの研究チームだ。英ハートフォードシャー大学の研究論文によると、チームは「犬が毎日の決まった帰宅時間を覚えているだけ」「帰ってくる車の音やにおいに気づいているだけ」「留守番中の家族の様子から察している」といった、超能力以外の可能性を排除できるように実験を設計した。帰宅時間は乱数を使って決め、飼い主の出発地点は自宅から遠く離れた場所に設定。留守番中の犬の様子も継続的に撮影した。さらに、ジェイティーが車の音を手がかりにしないよう、往路は研究者の車、帰路はタクシーを利用した実験も実施した。
1998年にイギリスの心理学系学術誌に掲載された論文では、「4回の実験すべてにおいて、ジェイティーが飼い主の帰宅開始時刻を正確に察知したという証拠は得られなかった」と結論づけている。記録によると、ジェイティーは1回の実験中に10回以上もポーチへ向かっており、その多くは車が止まる音や、人や犬が通りかかる気配など、屋外の物音に反応したものだった。研究チームは、こうした一般的な要因を排除しない実験では、犬が超能力を持っているように見えてしまう可能性があると指摘している。
「においが薄れる速さ」で時間を測る?

では、犬はどのように時間を把握しているのだろうか。米コロンビア大学バーナード・カレッジで犬の認知を研究し、『犬から見た世界』の著者でもあるアレクサンドラ・ホロウィッツは、米公共ラジオ局NPRの取材で「犬は基本的に、においの世界に生きている。においによって時間を把握できるのだと思う」と語っている。
ホロウィッツによると、人間はどれほど清潔にしていても、皮膚の細かなかけらとともに自分のにおいを家中に残している。家族が朝出かけたあと、部屋に残ったにおいは時間の経過とともに少しずつ薄れていく。毎日ほぼ同じ時間に出かけ、同じ時間に帰宅する生活を送っていれば、帰宅直前にはにおいがいつも同じ程度の濃さまで薄くなっている。犬はその「においの残り具合」と飼い主の帰宅を結びつけて覚えているのではないか、という仮説だ。
手がかりはにおいだけではない。ホロウィッツは、空腹や眠気、外に出たくなる感覚といった体の変化に加え、部屋に差し込む光の量や太陽の角度なども、犬が時間を把握する手がかりになっていると説明している。
また、においの濃さから時間の経過を読み取る能力は、捜索犬が足跡をたどる際にも役立っているという。NPRの取材に応じた認知科学者ルシア・ラザロウスキーは、追跡犬は新しく強いにおいと、時間が経過して弱くなったにおいの違いから、対象が進んだ方向を判断していると説明している。
研究で確認された「留守番の長さによる反応の違い」
ただし、ホロウィッツ自身も、この「においの時計」は仮説の段階であり、科学的に十分な検証が行われていないことを認めている。イギリスのテレビ番組では、ある家庭で留守中に飼い主のにおいを室内に追加し、犬がいつもの時間に帰宅を待たなくなるかを検証したことがある。結果は仮説を支持するものだったが、コレンも「体系的な研究ではない」と断っている。
犬の時間感覚に関する数少ない学術研究として知られるのが、スウェーデン農業科学大学のテレース・レーンとリンダ・キーリングによる2011年の研究だ。この研究では、分離不安のない12匹の犬を対象に、留守番の時間を30分、2時間、4時間の3条件に分け、犬の行動や心拍数をビデオカメラと心拍計で記録した。
その結果、留守番中の過ごし方には条件による明確な違いが見られなかった一方、飼い主が帰宅した際の反応には差があった。2時間と4時間の留守番後は、30分の場合と比べて、しっぽを振る、飼い主に自分から近づく、体を動かすといった行動が多く見られた。また、口をなめたり、体をぶるっと振ったりする行動も増加した。心拍数についても、2時間の留守番後は30分の場合より高くなる傾向が確認された。
一方、2時間と4時間の留守番では、反応にほとんど差が見られなかった。研究チームは、犬が留守番中に時間の長さを認識していたのか、それとも飼い主が帰宅して初めて「長く留守にしていた」と感じたのかまでは判断できないとしながらも、留守番の長さが犬の反応に影響を与えることは確認できたと結論づけている。
テレパシーによる帰宅予知は実験で裏づけられず、「においの時計」もまだ仮説の段階にある。それでも、30分の留守番と2時間の留守番では、飼い主を出迎える際の反応が変わることが研究で確認されている。玄関でしっぽを振りながら待つ愛犬は、人間には感じ取れない「時間の手がかり」を、鋭い嗅覚で読み取っているのかもしれない。


















