世界に1枚しか存在しないウータン・クランのアルバム『Once Upon a Time in Shaolin(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・シャオリン)』を、メンバーのメソッド・マンが初めて聴いた。販売方法に長年異を唱えてきた本人が下した評価は、意外にも前向きなものだった。(フロントロウ編集部)
自分が参加した作品を一度も聴いたことがなかった
1990年代のヒップホップ黄金期を切り拓いたヒップホップグループ、ウータン・クランのメソッド・マン。彼は2007年から2013年にかけて制作されたこのアルバムに自身のラップパートを録音して提供していたものの、完成版を一度も聴いたことがなかった。最近では、俳優トム・ハーディが発表したラップアルバムに客演したことでも話題になった。
その機会が訪れたのは、ジャーナリストのパブロ・トーレによるポッドキャスト『Pablo Torre Finds Out』の米現地時間10月16日配信回。ニューヨーク・ブルックリンで限られた参加者を招いた試聴会が開かれ、メソッド・マンも参加した。
試聴会が実現したきっかけは、アルバムの現在の所有者であるデジタルアート集団PleasrDAOにあった。同集団の名前の由来となったデジタルアーティストのエミリー・ヤンが、メソッド・マンが出演した同番組の過去のエピソードを視聴。トーレがメソッド・マンにアルバムを聴かせる方法を探すと約束していたことを知り、橋渡しを申し出たという。
「嫌いじゃない」に込められた評価
もともとメソッド・マンは、このプロジェクトに最も批判的なメンバーだった。アルバムを1枚しか制作せず、88年間は商業的なリリースができないという仕組みを、音楽や自身の参加パートの価値を下げる話題作りだと受け止めていたためだ。2015年にはメディアの取材に対し、そのようなことをするならアルバムなどどうでもいいという趣旨の強い言葉まで口にしていた。
しかし、アルバムを聴き終えると、その評価は一変した。米Billboardによると、メソッド・マンは「好きになる人がいるのは理解できますし、大好きになる人がいるのもわかります。僕にとっては懐かしさを感じる瞬間もいくつかありました」と語り、「このアルバムは嫌いじゃない」と繰り返した。
もちろん、辛口な指摘もあった。主にプロデュースを手がけたシルヴァリングズについては、RZAのサウンドを忠実に再現しようとするあまり、やや模倣的になっていたことや、一部の楽曲を長く感じたことを指摘している。盟友レイクウォンに対しては「最後の曲には参加しなくてもよかったかもしれません。あれは彼のペースじゃないです」と、冗談交じりのツッコミも入れた。
それでも最後には、かつて「Bメンバー」とまで呼んで突き放していたシルヴァリングズの実力を認めた。「プロダクションは、RZAがかつて手がけていた作品と肩を並べるレベルです。今回は彼をきちんと称えたい。これは正当なアート作品だと認めますよ」。番組の締めくくりには「あのアルバムは思っていたほど悪くなかった」と結論づけている。
製薬会社の元CEO、政府による押収、そしてNetflixへ
このアルバムがこれほど注目されるのは、音楽そのものだけでなく、その数奇な来歴にも理由がある。RZAと、彼の弟子にあたるオランダ出身のラッパー兼プロデューサー、シルヴァリングズが中心となり、約6年をかけて秘密裏に制作された。31曲入りの2枚組で、レッドマンやシェールも参加している。音楽の価値が軽視されがちなデジタル時代への抗議として、美術品のように世界で1点だけ制作された。
2015年のオークションで約200万ドル(当時の為替レートで約2億4,000万円)で落札したのは、ある治療薬の価格を約5,000%引き上げて「ファーマ・ブロ」と呼ばれた実業家、マーティン・シュクレリ。落札の条件として、2103年までの88年間は商業的に流通させることが禁じられていた。
その後、シュクレリは証券詐欺で有罪となり、禁錮7年の実刑判決を受けた。アルバムは資産の一部として米政府に押収され、2021年には政府が約400万ドル(当時の為替レートで約4億4,000万円)でPleasrDAOに売却した。ただし、シュクレリが違法にコピーを作成したかどうかをめぐる法的な争いは、現在も続いていると米Rolling Stoneは伝えている。
試聴回が配信された米現地時間10月16日には、このアルバムの制作の舞台裏を追ったNetflixのドキュメンタリー『The Disciple: A Wu-Tang Fable(原題)』も配信がスタートした。10代の頃はウータン・クランの一ファンだったシルヴァリングズ(本名タリク・アズーガー)が、グループの内部に入り込み、RZAの指導を受けながらこのアルバムを完成させるまでを描いている。
監督は、短編ドキュメンタリー『ホワイト・ヘルメット -シリアの民間防衛隊-』でアカデミー賞を受賞したジョアンナ・ナタセガラ。本作が長編映画の監督デビュー作となる。RZAが製作総指揮を務め、『ミッション:インポッシブル』シリーズのヴァネッサ・カービーもプロデューサーに名を連ねている。本作は2026年のサンダンス映画祭でも上映された。
88年間は一般に公開されないはずだった“幻の1枚”は、現在も全編が一般公開されていない。それでも、最も厳しい目を向けてきたメンバー本人がその価値を認めたことで、このアルバムの歴史に新たな1ページが加わった。



















