壮絶な子供時代を過ごしたドリュー・バリモア
両親ともに俳優、父方の家族は曾祖父の代からみんな俳優という役者一家に生まれたドリュー・バリモアは、生後11カ月でCMに出演し、4歳の頃に映画『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』で銀幕デビュー。
7歳でスティーヴン・スピルバーグ監督のSF映画『E.T.』で主人公のエリオット少年の妹を演じ、その愛くるしさと家族から受け継いだ演技の才能で一躍天才子役として注目を浴びることになった。
蝶よ花よともてはやされ、有名になった一方で、学校ではいじめに苦しんだドリューは、不登校気味になり、勉強についていけなくなったことで落ちこぼれに。
その後、一般常識やマナーを知らずに育った彼女は、幼い頃から夜遊びに没頭。10歳にも満たない頃からお酒やタバコを口にし、10代前半でマリファナやコカインといった薬物にまで手を出すように。
9歳の頃には両親が離婚したドリュー。母親のジェイドに対しても、「仕事ばかりさせて親らしいことは何もしてくれない」と怒りをぶちまけ、母の車を盗んでは、ナイトクラブに出入りするなど、手が付けられない状況だったという。
13歳で初のリハビリ入りを経験したものの、素行が悪化する一方だったドリューを自分の力ではどうすることもできないと考えたジェイドは、ドリューを18カ月間にわたり精神病院に入れた。
精神病院での暮らし
この時のことについて、先日出演した、米ラジオ番組『ハワード・スターン・ショー』で振り返ったドリューは、精神病院での生活について語るとともに、今ならジェイドの気持ちが理解でき、彼女を許すことができると話した。
「私はヴァン・アイズ精神科という施設に入所していたの。そこでは悪さはできない。だってもし悪さなんかしたら、クッション材が張り巡らされた部屋に閉じ込められるか、ストレッチャーに乗せられて体を拘束されちゃうからね」と、どれだけ本格的な精神病院に入れられていたかを明かしたドリュー。
いくら手に負えないからといって、娘である自分をそんな施設に入れたジェイドに腹を立て、最初の8カ月くらいはずっと怒りが収まらなかったと話した。
約1年半で出所したドリューだが、その後、14歳で自殺未遂。15歳の時に裁判所にジェイドからの独立を訴え、成人として認められた。
母の気持ちが今なら理解できる
その後も何年もジェイドと口をきかなかったというドリューだが、2001年の公開の映画『ライディング・イン・カーズ・ウィズ・ボーイズ』で10代で母親になる女性を演じたことがきっかけとなり、ジェイドと和解。
今では、13歳で送った精神病院での生活は、「病的な形だったけど、自分にとってはベストだった」と思えるようになったという。
自分自身が8歳の長女オリーブと6歳次女フランキーの母となった今、ドリューには、当時ジェイドがした決断は、決して悪意や、あきらめから来るものではなかった事がわかったそう。
「ママは(私という)モンスターを創り出してしまった。そのモンスターをどうしたらいいのかわからなかったんだと思う」。
そう語ったドリューは、「あれはママにとって最後のあがきだったんだと思う。あの頃の私は本当に制御不能だった。私はママがあの選択をしたことを許す。きっとほかには方法がないと思ったんだよ」、「同情するし、理解できる」と、ジェイドを許すと口にした。
今ではジェイドに対してポジティブな感情を持っており、ちょうどいい距離を保ちながら、お互いを尊重し合えているという。
2018年に『ハワード・スターン・ショー』に出演した際には、大荒れな10代を過ごした自分について、「私は14歳の頃には、もうひと通りやりきっちゃったからね。中年の危機も施設入りも、ブラックリスト入りも、家族との絶縁も、ぜんぶ経験した」と明るくジョークを飛ばしていたドリュー。
その内幕は壮絶だったけれど、母ジェイドの悪い面も、仕方なくした決断も呑み込んだうえで、自分は、娘たちにとって、いつも愛情を持って毅然とした態度で接することができる母親でありたいと考えているそう。(フロントロウ編集部)