準備に数週間~数か月かかることも、 コンサート手話通訳の世界
アメリカではひと昔前は、コンサート手話通訳士の仕事は歌詞やMCを純粋に手話で伝えるというものだったが、現在は、言葉だけでなく音楽体験を届けるという役割へと進化してきている。アメリカで最も有名なコンサート手話通訳士と言っても過言ではない、アンバー・ギャロウェイ(Amber Galloway)さんは、同じASL(アメリカ手話)でも、会話で使われる表現とコンサートで使われる表現は大きく異なると常々語っている。
2013年のロラパルーザ・フェスティバルでケンドリック・ラマ―のパフォーマンスを手話通訳する姿がネット上でバズり、人気トーク番組『ジミー・キンメル・ライブ!』にも招待されるなどして、コンサートにおける手話通訳士の存在をアメリカで啓もうすることに貢献したギャロウェイさん。現在はエージェンシーを立ち上げ、手話通訳士の派遣も行なっている人物だ。
ギャロウェイさんは現代のコンサート手話通訳の手法を米Voxで詳しく説明している。20年以上のキャリアを持つギャロウェイいわく、昔のコンサートの手話通訳は歌詞を訳すことがメインだったという。しかし、例えば同じ「love」という言葉でも、「ラブ」「ラァーーブ」「ラァーーーーブーーーー」など歌い方は曲によって違う。さらに、曲のなかでその言葉が持つ感情や情景も異なる。そこでギャロウェイさんは、言葉を手話するだけでは伝わらない部分、曲の歌われ方や、楽器の音質、さらに曲のエネルギーも伝えるというカタチを構築していった。表現の仕方は手話通訳士によって多様にあるが、例えば、低音のときは身体の下の方で手を動かして低い音であることを表現する、表情や口の動きも加えてビブラートやその瞬間のエネルギーを表現する、といった方法がある。
さらにコンサート手話通訳士たちは、難解な歌詞を適切に表現するために様々な研究をしている。ギャロウェイさんがラッパーのフューチャーの“F*ck up some commas”という歌詞を手話通訳したときには、一般的に人差し指で表現するコンマ(※英文で使う文章の区切り)をあえて中指で表現して、“ファック”という意味合いを持たせたという。このような複雑な表現のため、パフォーマンス前には予習に多くの時間がかかるという。
例えば、2022年に日本財団が東京で企画した“超ダイバーシティ芸術祭”のライブコンサート「True Colors Festival THE CONCERT 2022(以下 THE CONCERT)」の時は、手話通訳士とのファーストミーティングが行なわれたのはイベントの半年以上前。このイベントでは、長年さまざまな舞台手話を手掛けている非営利団体シアターアクセシビリティネットワーク(TA-net)が日本語手話を、ギャロウェイさんがまとめたチームが国際手話を担当した。その舞台裏の様子を、True Colors Festivalでチームリーダーを務める青木透氏はフロントロウ編集部にこう明かした。
「THE CONCERTの本番は2022年11月でしたが、同年4月に両チームの顔合わせをオンラインで行なって作業の洗い出しを行ない、ステージで用いる楽曲や演目を8月までにおおよそ固めて、歌詞や音源、脚本などの情報を共有し、本番での手話表現の準備を進めていただきました。日本手話チームには、英語歌詞を日本語訳したものを共有して準備をしていただきました。両チームとも手話通訳パフォーマーは歌詞の中身や音楽だけでなく、舞台上の表現を幅広く理解していただき、それを咀嚼した上でパフォーマンスを行なっていただきますので、準備にはかなりの時間を要しました」。
そのような準備の結果、観客の反応はどうだったのだろうか?
「大変すばらしい反応をいただきました。ろう者の方から感想を伺っていると、歌や演奏などに込められている細やかな情感まで聞こえる人と同じくらいに伝わっていると感じました。こういったことを実現するには字幕を表示するだけでは困難です。手話という細かなニュアンスまでを表現できる言語によって情報保障をするということも重要ですが、同様に、舞台上での手話表現に精通したチームが、ただの通訳としてではなく『手話パフォーマー』として表現をすることも重要です。日本手話・国際手話チームともに、精鋭のメンバーにステージに立っていただき、準備をしていただいたことで初めてそのような伝達が可能になったと思います」と青木氏。
ちなみにギャロウェイさんのチームはAmazon Music Liveでもアメリカ手話の通訳を行なっているが、メンバーのひとりであるMartise ColstonさんがAmazon公式サイトで明かしたところによると、このイベントでは通常2週間ほど前から準備に取りかかるという。