日本にルーツを持つDJ/プロデューサーのグリフィンにインタビュー。キャリアの初期の頃からの親友カイゴや、ワンリパブリック、ティナーシェ、ムー、セイレム・イリースといった豪華コラボレーターが参加している最新アルバム『Alive(アライヴ)』についてはもちろん、日本のチャートで急上昇することとなった「Tie Me Down」や「Body Back」、日本での思い出、そして、出演が決定しているフジロックフェスティバルへの意気込みについても訊いた。(フロントロウ編集部)

グリフィンが挙げるキャリアの転換期となった3つのターニングポイント

画像: グリフィンが挙げるキャリアの転換期となった3つのターニングポイント

まずは、グリフィンさんのキャリアについて伺いたいと思っています。ライブでは様々な楽器を演奏されていますが、音楽を始めたのはいつだったのでしょう?

すごく幼い頃にクラシック音楽を習い始めて、そのときからピアノのレッスンに通っていました。それがたしか、7歳か8歳の頃ですね。そこからずっと18歳になるくらいまでピアノは弾いていました。ギターを弾くようになったのは11歳か12歳の頃で、ロック・ミュージックに夢中になったのもその頃です。当時は友だちとガレージや家の中で一緒に音楽をやっていました。楽器を弾くようになり、音楽の道に進むようになったのはそういう経緯ですね。そして、大学に進学してからはエレクトロニック・ミュージックを好きになり、ダンス・ミュージックやビートをコンピューターで作る方法を勉強しました。子どもの頃に学んだ楽器の演奏をエレクトロニック・ミュージックに組み込みながら取り組んだので、2つの世界を融合させたという感じでしたね。

当時憧れていたミュージシャンは誰でしたか?

幼い頃はいろんな音楽を聴いていましたよ。当時のお気に入りはサブライムというバンドでした。子どもの頃はクラシックなロックが好きだったので、ザ・ローリング・ストーンズやレーナード・スキナードのようなアーティストの曲を聴いていましたね。幼い頃に初めてエレクトロニック・アーティストの曲を聴いたのは、ダフト・パンクが最初だったと思います。それから、学生時代にものすごく影響を受けたのがアヴィーチーです。彼が作るエモーショナルでメロディックな音楽は、自分がそれまで聴いたことのなかったものでした。アヴィーチーが自分にとっての憧れの存在となって、彼が音楽で表現していた感情を、自分も音楽で伝えたいと思うようになりました。

キャリアの転機になったターニングポイントを3つ挙げるとしたら、いつになりますか?

レコード会社と契約して初めてリミックスを手がけた時が最初ですかね。たしか初めて手がけたのはエリー・ゴールディングの「Burn」のリミックスだったと思うのですが、初期の頃にレーベルからリミックスを依頼されたときは、これはすごいことだと感じましたね。マルーン5の「Animals」のリミックスも、初めてオフィシャルで依頼されたものの1つでした。

次のターニングポイントは、初めてライブをやったときです。レイクタホで開催されたSnow Globeミュージック・フェスティバルに出演したのが最初でした。それから、初めてのオリジナル曲「Heading Home」をリリースしたときもそうです。アーティストとしての進歩という点では、単にオンラインにリミックスをアップしていたアーティストから、正式にレーベルの契約アーティストになって、ツアーやショーをして、自分のオリジナル曲も出せたという意味で、今あげた3つが大きなターニングポイントだったと思います。

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