ディズニー&ピクサーの『トイ・ストーリー5』が、8月5日に日本での興行収入100億円を突破した。節目に合わせて配布された資料では、ピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーが30年前の本音を語っている。(フロントロウ編集部)
11日で50億円、そこから止まらなかった
ウォルト・ディズニー・ジャパンによると、7月3日に日本公開された『トイ・ストーリー5』は、洋画作品としては歴代No.1のオープニングを記録してスタートを切った。公開11日間で興行収入50億円を突破し、これはディズニー史上最速の記録となった。
勢いはそこで落ちなかった。7月末の時点で85億円に達していた本作は、8月5日に100億円の大台を超えている。夏休みという追い風があるとはいえ、7月上旬の公開からこの短さで大台に届く洋画は多くない。
同社はこのヒットを受け、「トイ・ストーリー」の30年をたどるニュースレターを報道各社に配布した。数字の発表だけで終わらせず、シリーズがアニメーション映画に何をもたらしたかを振り返る内容になっている。

ピート・ドクターが振り返る、1995年の「賭け」
その資料のなかで、現在ピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるピート・ドクターが、第1作について次のように語っている。
「私たちが早い段階から理解していたのは、この映画の成功は、物語とキャラクターの魅力にかかっているということでした。それがなければ、たとえ世界初の長編フルCGアニメーション映画であっても、単なる目新しい仕掛けという評価に終わっていたでしょう」
世界初という肩書きは、当時のピクサーにとって武器であると同時にリスクでもあった。技術が主役になった瞬間、作品は「珍しいもの」として消費されて終わる。1995年11月22日に公開された『トイ・ストーリー』は初登場1位を記録し、世界興行収入5億ドル超。のちにアカデミー賞の特別業績賞を受けたが、その評価は技術ではなくウッディとバズという2体のおもちゃに向けられたものだった。

ランプが跳ねた年から、タブレットが敵になる年まで
ピクサーの出発点は1979年、エド・キャットムルがルーカスフィルムのコンピューター部門のトップに迎えられたことにさかのぼる。当時はデジタル音声もCGも、まだ道具として存在していなかった。1984年にはジョン・ラセターが加入し、制作中の短編『アンドレとウォーリーB.の冒険』の一部が画像技術の国際会議「SIGGRAPH」で上映されている。
1986年、Appleの共同創業者スティーブ・ジョブズがジョージ・ルーカスからこの部門を買い取り、ピクサーが独立した会社として立ち上がった。同じ年に公開された短編『ルクソーJr.』は、ラセターの正式な監督デビュー作であり、いまも社名の前で跳ねている電気スタンドのロゴのモチーフになった作品でもある。表情のないランプに感情を持たせられるなら、CGでキャラクターは描ける。その証明が先にあった。
以降、CG短編として史上初めてアカデミー賞を受けた『ティン・トイ』などを経て、1991年にディズニーとの長編契約が結ばれ、2006年にはディズニーがピクサーを買収する。2025年には日本でも第1作の全米公開30周年を記念した全国劇場上映が行なわれた。
そして今回の『トイ・ストーリー5』では、ウッディやバズ、ジェシーたちの前に「リリーパッド」という名のスマートタブレットが立ちはだかる。遊びの時間を脅かす存在が、時代とともに姿を変えたということだ。40年前にランプで感情を証明したスタジオが、いまはおもちゃと画面の対立を描いている。

『トイ・ストーリー5』は全国の劇場で公開中。北米でもシリーズ歴代最高のオープニングを記録した本作の勢いは、夏休み後半に入っても続きそうだ。















