アメリカとイギリスを発信源に世界で起きているトランス論争。中心人物のひとりである、『ハリー・ポッター』の作者J・K・ローリング氏は、「トランスフォビック」と批判する人もいれば、「女性の権利を守っている」と支持する人もいる。双方の見方がここまで異なる理由とは? 実際にどのような主張がされているのか? トランスコミュニティに何が起こっているのか? 専門家の見解などと共に騒動を解説する。

J・K・ローリング氏の6つの主張と反対意見を総まとめ

 『ハリー・ポッター』作者のJ・K・ローリング氏は、この論争について2万字を超えるエッセイを公開したほか、頻繁にツイートも行なうなどして、ジェンダー・クリティカル派の“顔”とも言えるほど中心人物になっている。そのため、ここでは彼女の6つの主張をもとにジェンダー・クリティカル派の主張を見ていく。

 先に明確にしておくが、ローリング氏は、トランスジェンダーの人々に対して「きらい」や「普通じゃない」といった類の言葉を言ったことは一度もない。逆に、トランスの人に対しては好意があると主張している。ただ一方で、女性の権利を擁護すると言っておいて女性に差別的な法律を制定する政治家がいるように、“好意の主張”や“嫌悪の自覚の欠如”は“差別しないことの証拠”にならないことは多くの人が知っている。それは、実際の言動から見ていくしかない。では、ローリング氏の主張とは? 主なものを取り上げる。

画像: J・K・ローリング氏の6つの主張と反対意見を総まとめ

① トランス女性は女性ではない、トランス男性は男性ではない

「好きな服を着ればいい。好きなように名乗ればいい。同意してくれる成人と好きに寝ればいい。平和で安全な、最高の人生を送ればいい。でも、性別は本物であると発言した女性を職から追いやるなんて」(2019年12月のツイートより)

 上記のツイートは、マヤ・フォーステーターという女性がトランス女性を「男性」と繰り返し呼ぶなどの行為を理由に仕事から解雇された件で、フォーステーター氏を支持するために投稿されたもの。

 ジェンダーの存在そのものを否定する多くのジェンダー・クリティカル派とは違って、ローリング氏は「ジェンダー・アイデンティティは無数にある」ものの、男女別の空間や制度を考えるときに「性自認」が認められるべきではないという主張をしている。ややこしいかもしれないが、ただこれは結局のところ、トランス女性は女性ではない、トランス男性は男性ではない、ということに繋がる。トランスの人の性自認を認めない行為は、Planned Parenthoodがトランスフォビアとする「アイデンティティの妥当性を否定する」行為にあたるとされており、ローリング氏のそのスタンスには、映画『ハリー・ポッター』や『ファンタスティック・ビースト』のキャストらからも反対意見が出る結果となっている。

画像: 映画『ハリー・ポッター』の主演トリオは、トランス女性は女性、トランス男性は男性であるとしている。

映画『ハリー・ポッター』の主演トリオは、トランス女性は女性、トランス男性は男性であるとしている。

② ジェンダー認定証明書の取得を簡易化してはならない

「手術もホルモン剤も使わないで、ジェンダー認定証明書を取得し、法律上は女性となることができます」(2020年6月のエッセイより)

「男性の身体を持つ人の間で、これまで女性専用だった公衆トイレ、更衣室、レイプ支援センター、家庭内暴力保護施設、病棟、独房などの女性用スペースに入る権利をより強く主張する人が増えるでしょう」(2022年10月のThe Timesへの寄稿より)

 ローリング氏がここで触れる「ジェンダー認定証明書」とは、スコットランドで進められてきた、法律上の性別変更の手続きを簡易化する制度のこと。ローリング氏やジェンダー・クリティカル派はこの制度に強く反対しているが、政治家やフェミニスト団体からは、そもそもの認識が間違っていると指摘されている。

 法律上の性別変更の際に必要なジェンダー認定証明書(GRC)の取得を簡易化する制度は、スコットランド政府が約6年にわたり協議を進めてきたもの。新しい案では、ジェンダー認定証明書の取得年齢が16歳に引き下げられ、現在必要とされている性別違和の診断も不要となり、自己申告制となる。また、申請前に性自認と同じ性別で暮らす期間がこれまでの2年から3ヵ月(16~17歳は6ヵ月)へと短縮され、申請後の3ヵ月は申請を取り消せる待期期間となる。虚偽の申請をした場合には最大2年の禁固刑が科せられる。

 ヨーロッパでは、自己申告制(通称セリフID)で法律上の性別変更を可能とする制度の導入が広がっている。2010年に欧州評議会にて手術やホルモン療法を求めることなくトランスの人々の権利を保証するよう加盟国に求める決議が採択された後、2014年にデンマークがヨーロッパで初めて自己申告制で法律上の性別変更を可能とする制度を導入。その後、ノルウェー、スイス、ベルギー、ギリシャ、アイルランド、スペインなどで続々と同じような制度が導入されており、スコットランド政府も約6年にわたり検証を続け、アムネスティ・インターナショナルのほか、国内の女性の権利団体であるEngender、Close the Gap、Zero Tolerance、Scottish Women’s Aid、Rape Crisis Scotland、Scottish Women’s Rights Centreなどの支持を得て、法案を提出した。

 しかしローリング氏や、女性の権利団体For Women、Glasgow and Clyde Rape Crisisの元マネージャーなどは、簡易化によって“制度を悪用するシス男性が女性専用スペースに入ってこられるため女性の安全を侵害する”と反対している。

 それに対し、スコットランド政府であるスコットランド国民党(SNP)や法案を支持するフェミニスト団体とLGBTQ+団体は、そもそもの認識に誤認があり、ローリング氏らの主張はトランスフォビアに繋がる誤解を拡散させていると批判している。

 例えばトイレや更衣室で言えば、スコットランドでは現在、ジェンダー認定証明書の提示なしで自分の性自認に沿ったものを使えるため、この法案改正はあくまでトランスの人のために制度を改良するだけであり、シス女性にとっての現状を変えるものではないとSNPらはしている。

 レイプやDV被害者のための女性シェルターに関しては、Rape Crisis ScotlandやScottish Refugee Councilを含む10以上の支援団体が、「正当な懸念がある場合は個人を除外できる強固な安全対策」を取り入れることで「スコットランドのレイプ被害者支援活動では、この15年間、何の問題もなくトランス・インクルーシブなサービスを提供してきました」としており、「女性の権利とトランスジェンダーの権利が対立しているという認識」は間違っていて危険であると声明で語っている。

 また刑務所に関しては、“私は女性ですと言えば女子刑務所に入れる”という主張も事実誤認だとSNPはしている。SNPのポリシーでは「(受刑者が)現在生活している性別を反映させる」となってはいるが、一件ごとに本人と周囲の安全を考慮したうえで慎重に配置が決められると強調しており、「犯罪で有罪判決を受けたトランス女性が女性刑務所に行ける自動的な権利を持っているわけではない」と、スコットランドのニコラ・スタージョン元自治政府首相はBBC Radio Oneの番組で明言している。

画像: 2023年までスコットランド自治政府首相を務めたニコラ・スタージョン氏にとって、GRCの改革は、賃金格差の是正や女性の就労支援などと並び、任期中に力を入れてきた政策。

2023年までスコットランド自治政府首相を務めたニコラ・スタージョン氏にとって、GRCの改革は、賃金格差の是正や女性の就労支援などと並び、任期中に力を入れてきた政策。

 加えて、とくに刑務所に関しては、英国心理学会もシス男性による制度の悪用を懸念する調査報告をしているため、スコットランド政府は、フェミニスト団体やLGBTQ+団体、刑務所と協議を続けながら、慎重に制度の分析・調整を続けているという。例えば2023年には、女性2人をレイプして逮捕された後にジェンダー移行したアイラ・ブライソンが72時間の評価期間中に女性刑務所の独房に入れられていたことが物議をかもし、その後の調査で「他の囚人とは一切接触していない」ため「刑務所の管理下にある女性たちが危害を受ける危険性はなかった」とされたものの、今後は収容方法に関係なく、「有罪判決を受けたり、再拘留されたりしたトランスジェンダーの囚人は、まずは出生時の性別に見合った施設に収容」される方向へと制度が見直された。

 英司法省が2020年に発表したデータによると、イギリスとウェールズの男性刑務所でトランス女性が性的暴力を受けた数は2019年の1年間で11件。イギリスの女性刑務所でトランス女性が性的暴力の加害者だった数は、2010年からの性的暴力事件の合計122件中5件。トランス・インクルーシブ派からは、刑務所内での女性に対する性被害をなくすためには、シス女性だろうがトランス女性だろうが、女性に危害を与える受刑者をほかの女性受刑者から離す方法を模索するのが適切であり、トランス女性の加害にばかり焦点を当てることはトランスフォビアだと批判されている。

 さらに、ローリング氏は刑務所について語る時にThe Timeが2022年1月に掲載した「Trans prisoners ‘switch gender again’ once freed from women’s units」という記事をツイッターで何度も引用しているが、本記事はファクトチェック団体のLogicallyに「(引用した論文から)ネガティブな経験を都合良く選び、ポジティブな経験を完全に排除」するなどして「多くの有害な虚偽の記載を行なっている」と指摘されている。

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